子育て論(その2)

子供の将来にどの親もいろいろな期待をするのですが、大きく2つに 分けてみました。
あなたはどちらの育て方をしていますか?

 

・立身出世型 水戸黄門の歌に象徴されるように「刻苦勉励・日々努力」で頑張り、受験戦争を勝ち抜き、進学校から名門大学へ。国家公務員上級クラスに合格して、高級官僚へ、あるいは大企業に就職して会社役員から社長をめざす。スポーツができれば、県大会から全国大会へ、スポーツ推薦で大学に入学し、企業に就職し、オリンピックやプロを目指す。

 この生き方は明治政府ができたとき、武士にかわって国を支配していく新しいエリート集団を作る必要から出てきたものです。一人のエリートが千人を蹴落としてその座を得て、地位 を確保するという、ピラミッド型の支配構造を合法的に維持していくための思想なのです。

 さて、ここでひとつ問題があります。努力することは無条件に必要なのでしょうか?頑張ることは文句なく正しいことでしょうか?人は泥棒をするのにも努力をします。競馬やパチンコにも勝とうと頑張ります。もっとわかりやすく言えば、戦争を支えるために銃後で庶民は頑張り、非国民を捕まえるために特高は努力したのです。

 賢明なみなさんはもうおわかりだと思います。努力するかしないかの前に、何をするか、していることは良いことか悪いことか、が大切なのです。良いことなら頑張ってもよいのですが、悪いことならできるだけサボったほうがいいの ですから。現に頑張りすぎたお父さんは過労死したり、リストラされたり。子供のなかには、誰かをいじめて精神のバランスをとるようになる子もいます。

・分相応型 これは江戸時代、士農工商などの身分制を維持していくために都合のいい考え方でした。かえるの子はかえる、頑張っても無駄 、差別されても仕方がない、虐げられ搾取された庶民が反抗して殺されないように自制する思想でした。

 そして現在、この考え方で生きていきていくと割と楽に生きていけます。しんどいことはしない、楽しいことだけしていく、競争はできるだけしない。偏差値という「分」に合った高校や大学へ進学する。仕事は首にならない程度にやり、アフターファイブや趣味を楽しむ。あるいは趣味と実益をかねた仕事をする。

 親から見るとこんな子はいらいらしてくるかもしれません。(笑)。ゲームやテレビの時間をもう少し減らして宿題をしてくれたら、レギュラーにもなれないクラブもやめて受験勉強してくれたらと、思います。

 人類は進歩しており、社会はだんだん良くなっていくという前提を無条件に正しいとすれば、分相応の生き方は認められません。類として人が進歩するのなら、個としてのひとも進歩するのが正しいはずですから。しかし人類が破滅に向かって進んでいるのなら、個としてのひとはできるだけ後退したほうが人類の生き延びる方法なのです。ごみ処理、産業廃棄物、各地での戦争などなど。人はどこへ行こうとしているのでしょうか?

 結論なんてないけれど 俺の子だからこんなもんだろう、というあきらめと、せめて自分よりいい暮らしをさせたいという、親心。がんばれ、がんばれとお尻をたたきすぎるのもいけないと思うけれど、すきにしていて後で後悔することがわかっているのにじっと見ているしかできない辛さ。

 しかし、親は義務をはたすのみ。子からの見返りは親に対してではなく、孫の世代に返されるはず。いわく「児孫のために自由を律す」と。