それを続けられた時、(医師は)何の為にこんな過酷で大変な仕事続けて来た?って思う。何かあったら裁判なんか起こってしまうような大変な仕事を担ってくれる人に対してあまりにも求めすぎた。
産科医、助産師もすぐに育たない。何が出来るか、ハイリスクにならないよう正常なお産、ちゃんとご飯作って食べて、体を温めて、ちゃんと歩いて健康なお母さんになる。それを地域の保健師、助産師がバックアプする。


 出産施設が母子同室にしない理由で、「お母さんが望まないから(ベビー室で預かっている)」という事がありますが、産前教育が出来ていないから、人が育つ上で何が大事かという事、人が育つ為に何を飲んで育つか、とても重要な事をあまりにも伝えてないから、望む望まないという事が起こる。『赤ちゃんを預かってくれない、お土産をくれない、母子同室で戸惑った』とお母さんが言うと『受け入れてもらえない』と助産師はくじけてしまう。でも大丈夫!3ヶ月、4ヶ月、6ヶ月過ぎて、ふと振り返った時、あれ私!母乳だけで育てている!とふと思う。その時は、病院に言いに行かないけど、あの時、預かってもらえない、お土産もらえない、ケチだケチだと思ったけれどあの時と違う、私!母乳で育てている!と後から思う。


 活動の一つに、お産の振り返りの時間を持つという事をやっている。産後のお母さんだけでなく、大きくなった子のお母さんが、3人兄弟は、上下を可愛がって、中はほったらかしが多いらしいけど、Nさんは、中の子を可愛がる。「上の子は仮死で生まれてさーっと連れて行かれた。下の子は超未熟児でさーっと連れて行かれた。中の子だけお腹の上に乗ったの。気持ちよかった〜。」上の子はずっとお父さんと寝て、頭では3人平等と分かっている。あまりにも動物的本能が働くのか、どうしても上の子、下の子に手を差しのべられない。一緒に居てほしいのは中の子、こんなにも分娩直後の事が体に響いている人が居るんだとびっくりした。
 4年生の子の母が10年前、押されて、引っ張られ、切って、ギャーギャーお産をしてその後の記憶がなくなって、可愛くなくて母乳育児出来なかった。あっという間に大きくなって、4年生位になった時に抱っこしてないって気付いて、一緒にお風呂に入ってない、一緒に寝る事も膝の上に坐る事もなく、これ以上大きくなったらもう絶対手を出せないと思って、抱っこにチャレンジした。だけど普段触られない人に触られるという事は、お互い嫌悪感があり、何するのお母さん!気持ち悪い!2週間位、背中触ったり頭をなぜたり、手に触れてみたり、お風呂に誘ってみたり触れるチャンスを作って触れて触れて、嫌悪感を一生懸命乗り越えてやっと抱きしめた。ワーッと泣いて、「やっと私のお産が完了しました。」抱きしめた事で、臍の緒も付いてないけど、やっと子どもをお腹の上に乗せたのですね。長い道のりだったと思います。
 お産を振り返るという事は、色んなとげが刺さったままだったり、納得がいかない、我慢我慢と蓋を閉めたままだったり、本当はこうしてほしかった、とても寂しかった、悔しかった。逆もあります。優しくしてもらった、ずっとそばに居てもらった、手を握ってもらった、大丈夫だよと言ってもらった。その医師、助産師、の白衣に後光が射していた、今でも覚えている。そういうことを思い出すたびに涙が出る。喋って喋ってとけて行く。また育児を前向きにする為に大切だと思う。


 北海道A村の助産師の資格も持っている保健師のKさんが、他の市町村から就任した時、生後4ヶ月の母乳育児率が2割だった。村の病院はミルクを足す所ばかり、2年間で2割から8割にあがった。まず、産後に訪問に行き、お産の話しを聞く。「どんなお産だった?そうだったの」と全員に聞いて、2回目から母乳の話をする。それだけで色んな事がとけ出す。妊娠中、まず母子手帳を渡す時、ただ事務的に渡すのではなく30分話をする時間を作って見極める。母親学級の時「みなさんがお産をするこの近辺の病院は、母子別室ですね、ミルクですね、糖水も飲ませますね。でも、5日間だけ我慢してね、退院したら私が行くから」と力付けた。「大丈夫、退院してからだってちゃんとおっぱい飲ませられるからね。」今はもうみんな母乳を当たり前と思っている。Kさんすごい!


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