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おっぱい今昔「聞き書き」

第1回 「近いむかし編」 昭和20年代・高知県安芸郡奈半利町

 もう、50年も前になります。
結婚は16歳で、長男を出産したのは18歳の時でした。
夫の両親と小姑と娚との同居生活でした。私は、毎日、姑のやっている田んぼと畑を手伝っておりました。舅は大工で農作業は全くしていませんでした。
 長男を妊娠した時、妊娠中毒症になり産婆さんに病院での出産をすすめられました。しかし、家で産みたい一心で、味付けせずに煮たじゃが芋を食べたりして、何とか「むくみ」を引かせようと努力しました。出産の一週間くらい前には、
「むくみ」もなくなっていました。出産は、陣痛が来てすぐ産婆さんに駆けつけてもらい、無事産むことができました。
 初めての授乳の前に、姑が、フキの根のしぼり汁を綿花を丸めてガーゼでくるんだものに浸して、子どもの口の中へ搾ったものを飲ませて、「胎毒を出すんだよ」と言っておりました。生まれてどれ位の時間が経っていたかは、もう覚えていませんが…。それから後は、「泣いたら吸わせる」をずっと繰り返しました。あまり、おっぱいの出が良い方ではなかったらしく、産婆さんが度々揉みに来てくれました。
 今は、生後数ヶ月したら離乳食を始めるようですが、私が長男を出産した頃では母乳がたっぷり出ている人は、1年でも母乳だけで育てていた様に記憶しています。私の場合は、生後数ヶ月で姑が「母乳が足りていないようだ」と言って…そうですね、生後100日過ぎた頃からでしょうか。重湯とか、米を挽いた粉を炊いたものとか、お茶を薄めたものを飲ませるようになりました。半年を過ぎた頃には、近所の方から頂いた山羊の乳を温めて飲ませていました。1歳近くなった頃には、カボチャや片栗粉に砂糖を入れたもの等を食べさせました。
 おっぱいは、1歳のお誕生頃が来たら「もうそろそろやめさせなくては…」と思いました。もう何でも食べ始めたし、「歩き出したら、おっぱいは飲ませるものではない」と思っていました。どうして、そう思うようになったのかって?
う〜ん…。思い出せません。それが当たり前だと思っていましたし、自分が仕事をしなければならないので、私自身やめたかったのは確かです。やめる時は、おっぱいに口紅を塗って子どもに向かって「痛い、痛い、痛い!血が出てる」と見せましたが、口紅がとれてしまうと、また吸いつくので、今度は、カラシを塗ってみました。それでも何度も吸い付いているうち、カラシで口の中が痛くなり、「からい!イタイ!」といい、長男はそれでやめました。

 次男は、冬生まれでした。自宅で同じ産婆さんにお世話になりました。この時は、妊娠中毒症は起こしませんでした。次男の時、姑はなぜかフキの汁を飲ませませんでしたね。どうしてでしょうね? 母乳は3ヶ月頃まではあまり出なかったように思いますが…。それからは、よく出て生後6ヶ月頃ぐらいまで母乳だけでした。1歳を2ヶ月過ぎた頃に、長男と同じ様にしてやめようとしましたが、途中で自分が乳腺炎になってしまい、次男はそのおっぱいを見て、吸わなくなりました。
 2人とも、33日を過ぎた頃から、夜は添い寝飲ましを始めたと思います。



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